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メディアリテラシー

小沢さんに関する一連の報道から学ぶべきもの

新年早々日本中が、民主の小沢さんこと天下の大幹事長殿の汚職疑惑のニュースでもちきりでありますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

わたくしは、民主党政権の身を削ったエンターテイメントのおかげで、毎晩、夜も眠れないぐらい楽しい毎日を送らせていただいております。本当に、この政権与党の国民を楽しませようという姿勢には感服いたします。いやまあ、ぶっちゃけ洒落になってないんですけどね・・・頼むから、予算だけは通せよ・・・

で、この問題を巡ってですが、なんだかとても不思議な光景がネットやマスの媒体で見られるようになっており、非常に困惑しております。ってえか、今更ながらに検察のリーク批判って、なんなの君たちw?あんたバカァ?って感じです、はい。

アゴラ : 「検察の暴走」を誘発する刑法の不備 – 池田信夫

えー池田センセが書いておられるように、そもそも日本の検察、とくに特捜部はもともと恣意的な捜査しかしません。だいたい、40名程度の特捜部に、日本の全汚職事件や経済事件を捜査する能力は最初から備わっていないので、元々そういうものだという理解をしておかなければ話になりません。つーか、みんな理解してるもんだと思ってたのに、そーでもなかったのな。おめーら、ライブドア事件の時にいったい何を見てたんだ?

なのでまあ、ずっと検察自身の体質を批判してきた方や、かつて検察に痛い目に合わされた事がある方が、この機会に検察叩きをするのは理解できるのですが、なんかこの件で急に検察叩きやリーク情報(と言われるもの)を報道しまくるマスコミを叩く人は、裏に何かあるのではないかと勘ぐってしまいます。

2010-01-19 – 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」

検察・特捜部は「正義原理主義者」の集まりだ。|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba

つまりまあ、上二つは何となく理解出来るのですが、下はまったく理解できないってことですw

追撃コラム&取材メモ : 民意なき逮捕!検察+マスコミ ぐるみの民主政権叩き – livedoor Blog(ブログ)

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Yahoo!ニュースがとても改善された

Yahoo!ニュース、「私はそう思わない」ボタン追加

Yahoo!ニュースのコメントシステムのリニューアル、前からこーなればいいなーと思ってたことが実装されててびっくりしました。

これまでのシステムは一部の記事に対してユーザがコメントできるようになっており、さらにそのコメントに対して「そう思う」場合に投票でき、そして「そう思う」を多く獲得したコメントが上位に表示されるものです。

このコメント欄、あらゆる記事に対して批判、悲観論、誹謗中傷で上位が埋め尽くされるのが常でした。そのほとんどが感情的な意見が多かったように思っています。一度そんなコメントが上位にくるとそれだけが注目されて投票の対象となり(ほかのコメントは読むこともされない)、悪意の悪循環になるのです。悪意の感情のほうが高いモチベーションに繋がるというのはわからんでもないですが、そんなコメントばっかり見てても気分が悪くなるだけなので、久しくYahoo!を見なくなってた今日この頃でした。

早く投稿されたコメントがずっと注目されるという点はそれほど改善されておらず、そしてなぜか早いコメントほど誹謗中傷が多いのが不思議ですが(何も考えてないからか?)、より冷静な意見が反映されて、悪意の悪循環状態が避けられるようになるんではないかと期待しています。

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創作とメディア

FINAL FANTASYのボーカルコレクション「Love Will Grow」で音楽家の植松信夫氏が、

「ここにある一枚の銀色の円盤は今はまだ未完成です。あなたがこれを聴いて何かしらの感情を胸に抱いた時、この円盤はアルバムとなって完成します。つまりあなたがこのアルバム制作に携わった最後のスタッフというわけです。」

と書いていたのが印象に残っています。創作とは、それに触れて何かを感じる、というところまでが創作なのだと思うのです。

ということで先日のぱんちらさんのエントリを読んで思ったことを。

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「メディア」の多様性を使いこなす能力

「メディアはメッセージである-”The medium is the message” 」と言ったのはマクルーハンだったか。

コミュニケーション科学で一番最初に習うのは「メディア」とは「媒介」であり、重要なのはその中身、いわゆる「コンテキスト」とか「メッセージ」というものであるということだ。「メディア」とはあくまでそれらを媒介するパイプのようなものであって、それが本という形であろうと、TV番組として放送されようと、Webページで世界に公開されようと、コンテキストがきちんと伝わればその違いに大きな差はない、と言われている。

しかし、前述のマクルーハンのメッセージは、「メディア」そのものが、コンテキストと同等のあるメッセージ性を持っているということを意味する。本は本としての、TVはTVとしての、WebはWebとしての、そのメディア固有のメッセージ性を内包しており、コンテキストの内容と関係なく、受け手は必然的にメディアそのものから何らかのメッセージを受け取る。これは、「メディア」が単なる媒介物以上の働きをすることを表しており、その意味では従来のコミュニケーション科学の常識を覆すものであった。彼の「メディア論」が非常に注目を集め、その後のコミュニケーション科学やメディア研究に多大な影響を与えたのは、そのためだ。

そして、ありとあらゆるメディアが跋扈する超多メディア時代と言っても良い現代においては、それぞれの「メディア」そのものが持つメッセージ性を理解した上で適切に使いこなす事が極めて重要となる。メディア・ミックスという言葉は、手垢が付き過ぎて錆び付いたものになってはいるが、現代ほどその巧拙が問われる時代は無いのではないだろうか。これは何も、マスメディアだけに限った話ではない。あらゆるコミュニケーション手段、あらゆるメディア全般に対して言えることだ。

さて、何でこんな堅っ苦しい話をしたのかというと、ふとした事でこんなブログを見ちゃったからです。

マイペイサジコル 誰の為のウェブサイト?誰の為の同人誌?

マイペイサジコル 「誰の為のウェブサイト?誰の為の同人誌?」のご意見に対して

いやまあ、内容自体は仲間はずれにされた厨房がキレて泣きながら無茶苦茶な論理立てで自分の正義を主張するという、極めて厨房ちっくな文章で、それだけ見れば「あぁ夏ですね」って感じなのですが、どうもこう「何かを創造・発信する」という行為の根幹や「メディア」というものの特性について、まったく無知なのではないかと不安になったのです。

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メディアリテラシー教育のない国、日本

一悶着も二悶着もありましたが、なんというか前代未聞のスピードで青少年ネット規制法が成立したり、児童ポルノ単純所持が違法化しようとしている昨今、みなさまはいかがお過ごしでしょうか?私は、久しぶりに会社の飲み会に参加して、頭が痛いですw

さて、青少年ネット規制に関連していろいろ調べたり、MIAUのインターネットの教科書プロジェクトに参加したりして、改めて思った事があるのですが、それは日本では全くと言っていいほど「メディアリテラシー教育」について語られる事がないということです。

メディアリテラシーという言葉が、聞き慣れないと思われる方も多いかもしれません。これは簡単にいってしまえば、各種のメディアを「読み書き」することが出来る基本的な能力のことを指します。これだけ多様な情報メディアが氾濫する現代にあっては、国語や数学といった基本的な教科に加えて、確実に養っておかなければいけない基礎能力の一つだと言えるでしょう。

しかし、日本の初等教育(小・中・高)において、このメディアリテラシー教育が行われているという話は、ついぞ聞いたことがありません。日本メディアリテラシー教育推進機構というところが、何年も前から「教育にメディアリテラシー教育を」とかって叫んでますが、ずっと叫び続けていると言うことは、逆に言えば全然導入されていないという実態を表しているのでしょう。こんだけ学校裏サイトだの、インターネットのコミュニケーションの問題だの、ガキンチョは携帯電話を持つなだの言っておきながら、そういった機器を使うためにどういう教育を為すべきかという議論がほとんどされないというのは不思議でしょうがありません。

ちなみに、このメディアリテラシー教育、アメリカや欧州なんかでは、高校レベルで導入している国も多かったりします。実は、先進国では割と当たり前の教養の一つだったりもするわけですね。

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