Home > お仕事 > “真面目”か“不真面目”かなんて、どーだっていいんだよ、本当は。

“真面目”か“不真面目”かなんて、どーだっていいんだよ、本当は。

ネタ元は我らがパオロ・マッツァリーノの反社会学講座 第6回なんだが、飛んできたのは狐さんのとこからだったりする。

ラクして生きて何が悪い – 狐の王国

マッツァリーノと言えば、反社会学とつっこみ力。ちなみに今月、新刊がでるそうで・・・イヤ別に好きな訳ではないですよw なんかこう絵がないと寂しいなとww

さて、最近特に強く思うのは、「マジメに額に汗して働く人がエライ」とかっていう価値観から日本はそろそろ卒業しないと本気でやばいってことだったりします。

マッツァリーノ教授(だっけ?)もおっしゃっているように、「労働が尊いものである」という価値観は、資本主義の発生とキリスト教的価値観(特に清教徒主義、いわゆるピューリタニズム)と強く結びついたモノであり、日本古来の価値観とかとはまったく出自を異にするものです。「働かざる者食うべからず」なんてのは、典型的な明治以降の輸入思想の代表みたいなもので、日本が富国強兵をして外国と闘うためには、プラプラ遊んでる町人や武士(大半は遊び人)なんかにいてもらっては困るので、そういう思想を教育で植え込んでいっただけなのですよ。そう、そもそも日本人は極めて怠け者な民族だったんです。だって、300年間も鎖国でゼロ成長だったんだからなww

でだ。「真面目で勤勉」という価値観が、生産性そのものにダイレクトに寄与していた20世紀においては、それがそのまま経済成長に直結し、豊かな未来を約束していたわけで、そう大きな問題にはならなかったのですが、悲しいかなそういう時代はもうとっくに終わってしまったのです。それに気づいてない人間(というか、理解できない人間)がいっぱいいて、「どうも今の若者はけしからん」だとか「オレの若い頃は・・・」とかって自慢話をして、なんとか自分の面目を保ちたいだけという状況が、日本のアチコチで起きているのではないかと私は思います。つーかまあ、ぶっちゃけうちの会社なんて、そんなのの塊だがw

何より重要な事は、21世紀に入って明らかに経済のパラダイムが変化し、「真面目に一生懸命頑張れば報われる」という時代がとっくに終わりを告げたことをきちんと認識し、新しい時代にあった価値観や生き様、果ては社会モデルを作り上げていくことなんだと思います。その現実から目を背け、輝かしかったあの頃を思い出して悦に入っていたって、何も前に進まない。いい加減、早く気づけよと思う。

21世紀の経済、現在の経済活動や生産活動において、「真面目に頑張る」ということは非常に重要性が低くなってきています。経営戦略の世界では、少し前から「品質経済」から「創造経済」へのパラダイムシフトが起きた、なんて事が言われていたりしますが、これは、ものやサービスが持つ価値の大半が「よりよい品質」から「新しい何か」に移っていることを意味します。性能競争や品質競争を頑張りすぎた揚げ句、それはもはや付加価値ではなくなってしまった。ちゅーかさ、ある決まった仕事を効率良くこなすということって、人間よりも機械の方が遥かに得意なんですよ。だからITがTFP(全要素生産性)を向上させ、IT化によって経済成長が実現されるというのは、世界の常識だろーが!!と言いたいが、残念ながら日本のIT業界の人間は「TFPって何?」って真顔で聞くヤツばかりだから、マジでどーしようもない。ちなみに、これらは全て過去の出来事であり、今現在の話ではない事にも注意が必要だ(アメリカでIT化によって全要素生産性が異常な伸びを示し続けたのは、90年代後半から00年代中頃にかけてで、これは実証研究なんかで既に証明されている。こことか参照)。

話を21世紀に戻そう。今、我々が直面している状況は、まさに「品質経営」から「創造経営」へのパラダイムシフトが求められているということである。「創造経済」において重要なことは、額に汗して毎日働くことではなく、なんかこうものすごい変な発想や新しいアイデアを思いつくことだったりする。そう、創造経済においては、ぶっちゃけ勤勉さは大して重要性がない事だったりするのだよ、君たち。というかね、無能な人間が無駄に勤勉だったりするのは、むしろ悪なんだよ。だって何の付加価値にもならないのに金だけは奪っていくんだもの。頑張ってるとかいう、よく分からない理由で。

だから発想を切り替えよう。21世紀にふさわしい発想に切り替えよう。別に怠惰なことは何ら罪ではない。怠惰であろうが、勤勉であろうが、生み出すモノが一緒であれば価値は変わらない。罪に値するのは無能で無価値あることだ。そして、無能な勤勉さは社会的な害悪ですらある。時として、無能であるかどうかは、個人の能力によらない。むしろ個々人は優秀なのに、組織として無能なために、頑張れば頑張るだけ迷惑をまき散らす事例が日本には多い。霞が関が良い代表例じゃないすか?

だからみんな、もっと楽して儲けることを考えよう。遊んで暮らせるためには、どうすれば良いかを考えよう。明日楽をするために今日必死になる、それが今の僕らに求められている事なんじゃないだろうかと思う。

・・・そういう私は、本日、株式投資で70万ほどもってかれましたがw 人間、欲かいちゃいかんねww

※ オチをつけておいてなんだが、マッツァリーノの話は、反社会学講座 第7回の方がおもしろかったりする。

Comments:2

taka 08-09-13 (土) 1:28

先達の仕事を忠実に反復することを真面目と呼び、さらにある時間内にできる限り多く反復することを勤勉と呼ぶならば。
真面目と勤勉についての認識を我々は改めなければならない。
先達の仕事が拠って立つ前提、ならびに前提の変化についての正確な理解に努めることを真面目と呼び、
未だ成されない革新的な価値の創造へ全精力を傾注することを勤勉と呼ぼうではないか。
パンチラストさんの主張はこのように表現可能だと思った。
ちなみにどちらも、常人がどれだけ頑張ろうが満足な結果を出すことは覚束無いが。

また、個人的には新しい価値の創造へ向けて、システムを再設計しようとする意見にさほど感銘を受けない。
そんなものは、それをせざるを得ない呪われた指導者どもに任せておけ。
自分にできる仕事をできる範囲で真面目かつ勤勉にやる。
上手く行かないときは考えたり他人に聞いたりしながら、やっぱりいつもの仕事をする。
上手く行くまで我慢しながら自分の足元をおろそかにしないこと。
進歩とは習熟の延長線上にある概念である。

おそらく現在の日本人、とくに若い人に届くメッセージはどちらかと言えばこちらのほうだと思う。
政治や社会的な事件の多くが、システムの老朽化や不備を言い訳にする人間の愚鈍、怠惰、濫用に起因している。
民間企業レベルでも同じことが起きているのではないのかと想像する。
劣化した構成員を前提にそれを補うシステムを発明し普及させることは大変なコストが必要だが、
各構成員が、既存システムの中でより高いパフォーマンスを得ようと努力することはコストに比して効果的にシステムおよび共同体を延命させるだろう。

何をしていいのかが曖昧で判りにくい時代なら、知恵を絞るのは運の悪いキチガイに任せておき、
さしあたり自分の武器とチンポをたゆまず磨くことがよろしいのではないかと思う。
気持ちに余裕がある人は隣人のも磨いてあげよう。

macot 08-09-14 (日) 22:22

なんか二人とも難しいこと書いてますが、どっちかというとTAKAさんに近いかなー。単なる日本語の問題のような気もしますが。「新しい何か」は「真面目で勤勉に」努力したその成果として生まれるものだと思うのです。真面目に「もっと楽して儲けること」を考えていけばいいんじゃないかな。

そんな努力をしないでぱっと新しいものを作れるヒトもいるのだろうけど、残念ながら多くのヒトはそうではなくて、新しいものができるなんて保証はないけど、それでも「真面目に勤勉に」やるしか方法をしらないのだ。

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://www.tokyodome-b6f.com/2008-09-12/panchirast-152/trackback/
Listed below are links to weblogs that reference
“真面目”か“不真面目”かなんて、どーだっていいんだよ、本当は。 from 東京ドーム地下6階

Home > お仕事 > “真面目”か“不真面目”かなんて、どーだっていいんだよ、本当は。

Search
Feeds
Meta

Return to page top